僕らは認知ロボットなのだろうか?それとも... [世間話]

昨日は人工知能とかAIとかに興味のある友人と飲みつつ色々な話をしてました。

その中で認知ロボットの話が出てきて、「人は認知ロボットなのかそれともまた別の何かなのかな?」という事がすごい気になりました。

ペットボトルが机の上においてある状態のとき、人はそれを見たままにペットボトルが机の上においてあるのだという事を理解することができます。

しかしロボットの場合は見ただけではそのペットボトルが机と一体なのか分かれている別々のものなのか何もわかりません。よってペットボトルの物体としてのデータを何らかの形によって多数入手して、そこから総合的に判断するというプロセスが必要になります。

つまり、人間はごく限られた情報のみで物をあるがままに理解できるけれど、人工知能にはそれが(今の段階では)出来ないのです。認知ロボットとは物を理解するときにその物を色々な角度から見たり持ってみたりしてそれを理解するという代物です。

そこで疑問に思うのは一体なぜ人間は短時間で物をあるがままに理解できるのだろう?という事です。

それは経験からくるのでしょうか?

それとも勘なのでしょうか?

例えばそれが経験なのであれば、経験を蓄積した人工知能は人間と同じように物の認識が出来るようになる訳です。

そしてもし勘なのであれば、その勘を分解して論理化すれば人工知能にもそれが搭載できるようになる分けです。

で、おそらくそれは経験ではないのだろうなと思うのです。

なぜかと言えば、赤ちゃんとか幼児とかは経験で物の理解をしているとは思えないからです。(まぁ別にこの辺は何か本読んだ訳ではないので適当なんですがw)

でーおそらく勘ってやつなんだろうなと僕は思うんです。

その勘ってのは一体どんな物なんでしょうね?

予測モデルなんでしょうか?

それとも論理では示せないような代物なんでしょうか?

僕はその答えを持っている訳ではないのですが、

きっとえらく難しい論理として存在するのだろうなと思います。

いや、そうであって欲しいと思う。
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