デザイン [世間話]

「興味がある」

誰かの言うその一言に今までどれだけの時間を傾けて来た事だろうか。

勉強 英語 留学 就職 何故か良くわからないけれども皆この辺の事柄についてやたらとこの一言から会話を始めてくる。

大抵の場合、その興味のある事柄に対して曖昧な説明をした上に良くわからない専門用語でお茶を濁し、その事柄について他人に喋れた事に満足して帰って行く。

いつも喉まで出そうな言葉が幾つもある。

興味って何?

他の事柄と比較して言っているの?

他の事柄はどのくらい見て回ったの?

服屋で服を観る時、店に入って最初に見つけた服を手に取って、これが最高の服だとどうして決めつけられるのだろうか?

そしてその服を購入した人が数ヶ月後にその服を着ている事を観る事はまず無い。

俺はまだこの服を脱いだ人達に、何で服を脱いだのか?と聞いた事は無い。

そう聞く事にもその答えにもとても興味がある。ただ、そうする事には情熱が持てないからだ。

聞いた話によると皆人間関係を理由にするそうだ。まぁそれは良いや。

「興味がある」とはとても使いやすい言葉だ。

事柄に対して好意を見せることができて、尚かつリスクを取らなくて済むからだ。

もし興味を失っても誰も咎めない。自分の中にいる他人は自分を責めない。

つまり、興味なんてその程度の言葉でしかないし、皆そういう意図で使う言葉なのだろう。

もしこれが常識として皆に解られている事なのであれば、俺はとてもショックだ。

何でかと言うと俺がこの事実に気がついたのは今日の朝8時にベーコンと卵を炒めて醤油をかけた物をご飯と一緒に食べながら、今やっている研究につかうグラフを見ながら考え事をしている時だったからだ。

俺は一体どれだけの時間を無駄にして来たんだろう。

そうやって考えている内に、情熱とやらを持っている人をどのくらい知っているのかを考え始めた。

今知っている限りでは4人だけだ。

でも、幸運な事に好きな事を追いたければ興味では足りなくて、情熱とやらが必要だという事を知ってそうな人は結構いる。嬉しい限りだ。


ところで、デザインという言葉はとても魅力的だ。

何かをデザインする。

デザイナー。

何かを作っていると言う気がしてくる。

数年前までデザインという言葉が嫌いだった。

何故かと言うと、デザインが好きな奴が大体興味で動く奴らだったからだ。

空っぽに生きて、

体裁だけとりつくろって、

体裁だけを気にする人達で集まって認め合って、

デザインが好きで、

興味があると宣う。

自分の人生さえデザイン出来ない奴が何を言うのだろうか。

人間一度は何かをデザインする機会を得る。

それは間違いなく人生だろう。

デザインとは、意思を物に入れ込む行為だ。

デザインされた製品には意思と目的があり、伝えるものがある。

それをどう使うかは使用者次第だ。

人生の最初の部分をデザインするのは親だろう。

教育や環境を与え、製品としてのコアを作る。

そしてそれらの制約を受けて残りの部分を自分でデザインする。

スコップからバケツを作れない様に、最初のデザインは次の形をある程度決めてしまう。

しかし、その形は一定ではない。自分で新しい意思を入れれば、時間とともに形は変化する。

そして最後にはデザイン通りに機能する事が出来る。

人生をデザインするという事は、人生の方向を長期で決めるという事だ。

だから興味ではデザインは出来ない。

いや、興味でデザインした物は生き残れない。のかもしれない。

そこには情熱とやらが必要なんだろう。


もし自分に子供が産まれたら、その子の人生をデザインする事になるのだろう。

教育を決め、環境を決め、与える情報を決め、多くの事を決定してデザインして行かなければならない。

いや、デザインに従って決定して行く事になるのだろう。

もしそこにデザインが無く、無秩序な方向性が存在すれば後のデザインがし難い事になるだろう。

だから、その時の興味や親の見栄で子の人生をデザインしてはいけないと思う。
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